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性教育関連論文

性と生を自己実現していくために

■ メディアの中の性
 2004年1月13日の朝日新聞によると、「漫画に『わいせつ性』が認定」され、懲役1年、執行猶予3年の判決が言い渡されたということだ。露骨な性表現のある成人向け漫画を販売したとして、わいせつ図画頒布の罪に問われた出版社「松文館」社長への判決である。本格的なわいせつ裁判の判決は「四畳半襖の下張」事件以来20年ぶりということである。「アダルト漫画が性犯罪の激増と一定の関係がある」との見解を示し、「価値観が多様化しても、許容される範囲にないとの結論を導いた」ということである。 成人向けの性情報の問題点は、そのまま子ども向けの性情報にも言えることである。成人向けの性情報が簡単に子どもにも手に入るということと、子ども向けの情報に大きな問題があるということである。子ども向けの雑誌には、「性器」「性交」のあからさまな表現が溢れ返っている。男子用の雑誌にはそれに「暴力」が多く絡み、女性差別と暴力の性表現が繰り広げられている。女子用の雑誌では、そこに登場する人物は、大抵あどけない顔の「少女」で、性的な身体特徴のみを誇張し、女性の被差別を肯定した形での性表現のオンパレードである。そういった雑誌が、店頭の平積みという場所に置かれ、表紙だけを見るといかにもかわいい感じの少女向けの体裁になっているので、小・中学生が「買ってしまう」あるいは「買いやすく」なっているのかと思われる。子どもたちはこういった情報から、性に対する歪んだイメージを刷り込まされているのである。
 先述の新聞記事によると、「アダルト漫画が性犯罪と一定の関係がある」という見解が持たれたようであり、本誌8号にある吉田清彦さんの調査結果にもあるが、「子どもたち自身もメディアからの影響を自覚している」と確実に言うことができる。
 1995年頃から10代の人工妊娠中絶が急増している。エイズを含む性感染症も同様であり、特に若い世代に顕著な傾向が見られ、先進国では唯一、「エイズ感染爆発」の可能性さえあるという。この傾向の原因は、世界一とまで言われる日本の性産業が下地にあり、その上に、急激に普及していったパソコンや携帯電話などの新しいメディアやハイテクと関係があるのではないかと思われる。子どもたちがメディアやハイテクに接し、無批判に性情報を受け取ることにより性行動が急激に活発化したということ。また、そういう子どもたちをターゲットにして儲けようとした大人たちもいて、その結果、妊娠・中絶・性感染症といったトラブルに巻き込まれたり、それらを通して子どもたちが性被害にあったり、殺されてしまったりする犯罪の対象にもなっているのではないかと思われる。
 学校での性教育に関して、「性器」「性交」の扱いを規制している場合であろうか。規制の理由は「『発達段階』に合わない」という。「理解できないのではないか」とか「いたずらに性的好奇心を昂じさせるから」という理由のようであるが、子どもにあわせた分かる言葉や教材・教具できちんと対応すれば、子どもたちは理解もするし、心で受け止めてくれるものだ。また、「いたずらに性的好奇心を昂じさせる」様な性教育はありえないと思う。そうさせるのは先述のメディアやハイテクからの情報に大いにその問題があり、文科省や教育委員会ではそういった点についてどう捉え、どんな対策を考えているのであろうか。
■ 子どもたちの行く街では
 私の後輩の教師たちが、昨年9月に渋谷の街頭補導に参加した。その模様を『生活指導部便り』に掲載し、生徒・保護者向けに配布したものがあり、その一部分をここに紹介する。
 「109や109−2など、女の子の人気スポットを抱える渋谷の街が、一歩間違うと人生を狂わせるエネルギーを持っている恐怖を目の当たりにした3時間弱。『じっと観察してください。必ず分かりますから』という警察の方の言葉にじっと目を凝らしていると、センター街の奥の方で、”浮遊”するなんともいえない集団の動きに気づくことができました。”ナンパする””ナンパされる”ことを期待して、それ以外の目的も持たず、ただ浮遊するグループの存在がそこにありました。100円ショップで下着を買い込み、指名を受けた大人に販売することで、5分間で4000円稼いでいるという少女の話も聞きました。フリードリンク890円で一晩を明かす『マンガ喫茶』の中高生と見られるカップル。こちらの見回りにも気づかない爆睡状況に『最近のマンガ喫茶は非行の温床です』という警察の方の言葉。
 女子学生を写した目を背けたくなるような写真から、制服・下着・運動部のユニフォームまで、雑多に並ぶ”ブルセラショップ”の店内。換気も悪く、頭が割れそうな大音響のゲームセンターで大声を上げて興じる若者(4・5歳児を連れた若い夫婦?の姿もあり、驚かされた)に、他にするべきことは無いのだろうかと思い、私たちは何をすべきかと深く考えさせられました」
 子どもたちの中には、基本的に自分を支えてもらえるような愛を感じることのできない子どもが増えてきているのではないか。原因は親自身の生き方に問題がある場合が多い。社会の問題、政治のあり方につながり、根は深い。その中で、子どもたちが希望や目標を持って当たり前の努力をしてゆくような生き方ができにくくなっているのである。その子どもたちを、儲けの対象としている大人たちが、子どもたちを誘い出し、そそのかし、あの手この手で子どもたちに近づいてくる。寂しさを抱えた子どもたちは、意識的あるいは無意識に心の隙間を埋める行動に走り、まんまと悪い大人たちの犠牲になってしまう。
 子どもたちが自分を肯定し、体と心の健康を保ちながら生きてゆけるようにするためには、いろいろな施策が必要であるが、しっかりした性教育もその大切なひとつである。
■ 海外に学ぶ
 私は20年前に、”人間と性”教育研究協議会(以下性教協)の海外研修旅行で北欧を訪れたことがある。そこで出会ったガイドの日本人女性に、その国に住んでいる理由を訊いたことがある。彼女の「いろいろな国を見たけれど、この国が最も男女平等で暮らすことができると思ったからです」という答えが印象的で忘れられない。
 その当時から、たとえば国会議員の4割前後を女性が占め、各種の職業に女性が進出しており、働く両親を支える保育所が整っていた。平等の観念は社会で当然となっており、障害者の一人用の住宅を見学したときも、その設備や社会的な援助システムのすばらしさに、一人ひとりを大切にするという国の姿勢が見えた気がした。
 性情報という点では、アダルトな性文化は子どもには簡単に届かないような仕組みになっており、日本のように、性的メディアが子どもにもお構いなく届いてしまうような形にはなっていなかった。そして、低年齢からの性教育のきめ細かな対応が国レベルで進められていた。性教育は、北欧の国々の基盤となっている平等教育の、その一環として存在しているのである。人と人とがどんな人間関係を結んでいくのか、性を介して、より幸せで豊かな人間関係をどのように築いていったらよいのかを学ぶ性教育である。
 昨年の夏、やはり性教協の海外研修旅行で、(私は病気のため行き損なったのであるが)オーストラリアに学ぶ機会があった。
 学びたい観点の1つ目は、オーストラリアでは早くからHIV感染の広がりを早期に押さえ込むことを国レベルで取り組み成功したといえるが、その理由や実態についてであった。
 2つ目は、売買春を公認し、そこに暴力を排除し、感染と妊娠を避ける対策を徹底した事についてであった。実際に学習してきた参加者の『報告集』によると、1については、「政府のみならず、さまざまな機関、団体、NGO組織の幅広いパートナーシップがあり、その根底には、いろいろな立場、セクシュアリティ、生活習慣を生きる人々がいるが、それらの人々を”孤立させない”という考え方があった。」と、研修団長である村瀬幸浩氏は実感したようである。日本ではとても考えられない在りようだと思い、ため息が出てしまう。2については「売買春の合法化、PDHPE(Personal Development, Health and PhysicalEducation)という性教育の考え方への変化、麻薬常習者への対応などなど”倫理”ではなく”論理”で物事に対応していく力強さを感じた」と村瀬団長は述べている。さらに、「わが国の場合は、性教育は道徳教育として行うべし、との主張があり、その考えに多くの人々が共感しているようにみえる。しかしその??道徳.とは、しばしば関係におけるリレーションシップに関することなどである。そこでは、本来は、性別役割にはめ込んだり、性別による二重基準を男らしさ女らしさという言い方で押し付けたり、上下関係を持ち込むようなことはあってはならないのである。
 ところがわが国では、人権とか両性の対等・平等性などに基づく道徳性を持ち出すと、それをイデオロギーの問題にしてしまう力が働く。それだけ、個と人権の考え方が浅いことの表れであるが、この克服の重要性は差し迫った問題になっている」と述べている。簡単な道ではないが、日本人の考え方の基盤を揺さぶっていく必要がある。性教育を進めていく上で常に意識していきたい。
 ニューサウスウエルズ州の教育について、参加者の一人は「学校は個人を大切にし、州は学校を大切にするという、自由・自治の姿勢が貫かれていたところがすばらしい。」「日本は全く逆で、縦型構図で、教育が管理統制されているところが問題だ」と嘆いている。
 また「日本において、性に関する情報は、子どもの命と健康を守るための情報が??弾圧.され、子どもを危険な状況に陥れるような情報は野放しにされている。オーストラリアの状況を知るほどに、日本では、人間の命、健康、学ぶ権利などが踏みにじられていると実感するばかりだ。日本の若者たちに”正確な情報”というワクチンをせっせとばらまかなくてはね」と日本の現状に対して、あらためてその危機的状況を語っていた。
 全く同感であり、いかに子どもたちへの豊かな教育を守っていくのかが大きな課題になっているといえる。
■ からだと心、そして関係性についての学習
 1.からだ観
 各年齢を通して基本的にまず育てたいことは、命やからだを肯定的に受け止める「からだ観」ではないだろうか。生きている自分のからだ、他の人のからだというものを大切なものと思え、尊重してゆく姿勢である。
 幼少期、小学校低学年、そして障害児には、基本的にからだの各部分についての理解からはじまり、その中で、大切な部分のひとつとして性器を捉えさせる。性器が排泄器としての役割も兼ねていることから、その健康を保たせるためには、排泄時の処理の仕方をきちんと教えることが大切である。
 そして日常、性器の清潔を保つ習慣を身につけさせる。つまり、入浴時の性器の洗い方も教える。「性器は大切にしよう」ということと、性器の自己管理の基本を身につけさせるのである。それと同時に性器がプライベーゾーンである意識を育てる。人に見せたり触らせたり、人のものを無理に見たり触ったりすることは、人権の問題であることを理解させる。「とても大切なところだから」「相手が嫌がるようなことはしない」というような子どもに分かる言葉に工夫する必要がある。
 2.性をめぐる人間関係の学習
 また、この頃から、命の始まりについての疑問がわき、男女の違いやその発達といった性的な関心も持ち始める。それを親や先生などの大人に疑問を発してくる場合が多いので、それを受け止め、逃げずに、真実を、子どもに分かる言葉で教えてゆくことが非常に大切である。
 小学校での性教育は、人間の性的な生き方の基本を作っていく意味で意義が深い。現在の日本では、子どもたちにも性的な情報が否応なしに入ってくる状況であることを考えると、そういった情報に接しても揺るがない子どもを育てたいと考えれば、その情報の3倍くらいの性教育が必要ではないだろうか。
 というのは、そのような情報は刺激的で、興味をそそる手口で浴びせられている。その中で、賢く、真実をつかみ、自分を大切にして生きてゆく力をつけさせるためには性教育がたっぷり必要だと思うのである。性器についてしっかり理解し、性交についてきちんと把握させるべきである。
 その際、人間にとって性交とはどんな意味を持つものなのかということを各年齢に合わせた言葉で、理解させる必要がある。「性交教育」というラベリングをする人がいるが、性交のハウツーを教えるかのような捉え方をされるのは情けないことだ。
 つまり、人間にとって性交の持つ意味を考えさせ、生殖の性として、また人間関係の性としての理解をさせることが必要なのである。そこで初めて子どもたちは、自分の存在の意味を知り、自分の命を肯定的に捉えることが可能になるのではなかろうか。深い豊かな人間関係の中の性というものをしっかり捉えられている子どもは、例えば、何かの歪んだ情報に接しても、それに対する批判力が働く。簡単にはだまされたり、揺らいだりしない子どもになるのではないだろうか。
 3.思春期の性と自己肯定
 思春期を迎え、からだの変化が始まり二次性徴が現れてくるころ、それに伴う不安や悩みも多くなってくる。性器の発育・発達により起こる月経・射精について、それを肯定的に受け止めることのできるような学習ができることは、その人の人生観を築く上でも大切であると言える。子どもを産むためだけの機能ではなく、大人の女(男)として生きてゆくための発育・発達であるという肯定的な捉え方で、学習させたい。
 大学の先生たちが、学生たちの無知を指摘している。それは、高校までにいかに性教育がなされていないかということであり、その結果、非常に低いレベルでの悩みを持っていることが分かる。受けるべきときにきちんと性教育を受けられなかった人たちの悲劇である。最も基本的な知識である月経・妊娠・出産のメカニズムを、学習してこなかった男子が多いということだが、女子学生の知識レベルも低い。科学的でしかも感性豊かな指導の工夫がほしい。
 4.マイノリティの性
 からだについての理解の上に心の発達、そして人間関係へと内容を発展させていく時に、性的な心の働き「性的指向」について必ず取りあげ、”同性愛””性同一性障害””インターセックス”等のマイノリティの性についてきちんと理解させることは重要である。子どもたちの中に当事者がいるという前提に立ち、すべての人の人権を意識した授業を進めるべきである。
 授業では、私が実際に会った人たちの話や、その人たちの著書を紹介したりして進めていくが、子どもたちは自然に聞いてくれ、その受容力にこちらが驚かされるくらいである。授業後、マイノリティの当事者の生徒から相談を受けたこともあり、授業の必要性を痛感した。
 5.恋愛学習
 人間関係に関する内容で、取り上げるべき項目としてはまず「友情」「恋愛」があるが、それらが破綻したとき、例えば「失恋」といったことも学習するべきだと思う。現在、ストーカー殺人とか、断られた腹いせの暴力事件などが頻発しているが、人間関係の破綻のケースを、成長のチャンスにして生きていく能力を培うため、シミュレーションなどで、学習する必要があるのではないだろうか。「性欲」「性交」といった人間関係の濃密な関係に関する内容について扱うときは、お互いに納得した状態であり、病気の感染や、望まない妊娠の心配のない状態であることが必須条件であることを理解させる。ケースを想定して、子どもたちにディスカッションさせるのも良い方法である。
 6.いのちの学習
 「妊娠」「出産」「避妊」「人工妊娠中絶」そして「不妊症」「人工授精」「代理母」という命に直接触れるものには、事実を把握したり、現状の分析ができるような資料としっかりした解説が必要である。「避妊」においては、「コンドーム」と「ピル」について、正しい理解と実行できる能力を育てることが必要であり、そこには男女共に、女性の体への深い理解とその健康を守る意識が大切で、話し合い、協力する必要性を認識させることである。
 7.性感染症・エイズ
 「性感染症」「エイズ」について、他人事と思わずに、自分の問題として捉えられるような工夫が是非必要だ。特にエイズの感染爆発が4、5年後に予想されるという問題もあり、また、クラミジア等の性感染症の感染はHIVの感染率を数倍にすることから、予防するための知恵を持たせることと、その実行力をつけることは急務である。
 8.性と社会・歴史
 「家族」「女性と労働」について、自分の生き方を考えさせ、、パートナーや周囲の人たちとの関わりについて調査研究をさせたり、討論のテーマにもできる。生き方の多様性についても考えを深めさせたい。
 また、人間の性と生を阻むものとして「戦争」の問題は大きい。「戦時性奴隷」としての「従軍慰安婦」について高学齢の子どもには是非学習させたい。そこで「人間の性とは」という観点で、原点を見つめて考えを深める機会にすることができる。
■ 七生養護学校の性教育に学ぶ
 現在、バッシングの的にされている七生養護学校の性教育とはどんな性教育だったのか、考えてみたい。それまでは、校長会や教育庁からも高い評価を受け、実践が紹介されていたものだった。何よりも子どもの健やかな成長を願う教師の努力と、それに感謝しながら提携する父母の存在で、子どもたちの理解力と感性に合わせた、手作りのすばらしい性教育実践であった。
 子どもたちもこの性教育が好きで、先生への信頼を深め、子どもたちが自分自身の心とからだについて学び、自分の存在・生きてゆくことへの肯定感を実感できるような性教育であった。性教育の原点ともいえるような模範的な実践といえる。
 ある日、私はこの七生養護学校を訪れた。保健室に次々やってくる生徒たちへの養護教諭の対応を見て、障害を持つ生徒たち一人ひとりを本当に尊重して、それぞれの生徒の生きることを支援するというのはこういうことなのだと思った。そして、この姿勢で、七生の性教育は構築されていったのだと実感した。
 ここで、性教育を進める上で、七生の性教育から学ぶ大切な観点についていくつか述べてみたい。それは、1つには保護者との連携である。授業の前後に保護者には詳しく連絡をし、意見・希望を取り入れて性教育を組み立て、実施してきた。保護者も信頼と感謝を持って家庭での対応に協力している。そのような基盤があったからこそ、今回のような攻撃を受けた時でも、保護者も立ち上がり、抗議や要請に何度も関係機関に足を運び、冷静にしかも心にグンと訴えかけるような署名用紙を作成し、精力的に署名を集める行動をしている。教師と保護者の固い信頼が無ければこのような動きは生まれてこない。
 2つ目には、その教育内容である。逃げずに、科学的に真実を、子どもに分かりやすい方法で、丁寧に教えていく。からだ観を育てるために良い方法だと思える『からだうた』や、性の理解を深めるための手作り教材を研究し、いのち・からだの素晴らしさと自分が生まれてきたこと・これから生きていくことへの自己肯定感を育めるようにいろいろと工夫していること。
 3つ目には、この性教育を子どもたちが喜んで受け入れていることである。この授業に子どもたちは生き生きと臨み、「『からだうた』好きだよ。先生、好きだよ。」と感想を述べている。七生の性教育の取り組みは、まさに子どもと保護者のニーズに応え、総合して人間的であったことは、学校における性教育の重要な要素として大いに参考とするべきであろう。
■ チャンスを活かそう
 性教育の目的は、子どもたちが性と生を自己実現していく力をつけるための援助をすることだと思う。性をどう生きるかということは、いろいろな知識・思考・想像力・洞察力などを働かせて行動を決定してゆくものだ。自分の行動することを自分で選んでゆく。その能力をしっかりつけさせたい。
 教え方、話し方の具体例については、ここでは触れていないが、実践例に学ぶことが大切である。そして、何よりもまず、始めてみることである。
 私の拙い経験では、書籍による学習とセミナーに参加して、講義を受けることで、眼からいくつもの鱗を落としたものである。研修会や、海外研修旅行で学習したことも性についての研鑽を積む良い機会になっている。
 中国旅行で、日本の侵略戦争について学習したが、この贖罪研修のお陰で、確かな裏づけを持って授業に臨むことができ、説得力を加えてくれたと思う。「従軍慰安婦」をテーマにした学習も、こちらが信念をもって語りかけることで、「人間の性と生とは」というところまで考えを展開してくれた。ある子どもからは「このことを学んで高校を卒業することが出来てよかった」という感想を得た。
 私の場合、生徒によってずいぶん育てられた面が大きい。こちらが余程思い切って話した場合でも、生徒のほうはスッと自然に受け止めてくれ、後で「こういう話をきちんと聞きたかったんです」という感想をもらったりした。私の勤務校は女子高であったが、私の考案した妊娠カレンダー(本誌11号参照)を用いた「妊娠」の学習に興味を示す一方、「男性の生理や心理について」「自慰」といったテーマは、生徒のニーズの高さを感じた。生徒に励まされて、私自身が学び、授業を続けてきた感がある。とにかく、勇気をもって子どもの前に立つことである。子どもが育ててくれる要素は大きい。
 ドキッとするような質問もある。「困らせてみよう」といういたずらだったり、「この大人なら答えてくれるかな」という信頼の場合もある。とにかく、子どものメディアに躍らされた興味本位な質問に対して、科学的に答え、その機を利用して学習させていく時間にしてしまうのである。
 私が40代の終わりころだった。生徒が言いにくそうに、「先生は、何歳頃までセックスをしましたか?」という質問をした。私は咄嗟に、「そういうプライベートなことは答えられない」と言おうかと思ったが、「あら、過去の話にしないで!」と答え、性というものが一生のものであることの話に持っていった。雰囲気がどんどん変わり、理解・納得の表情に変化していく様を見るときは、性教育の醍醐味を味わうような気がする。まさにピンチをチャンスに変えることだ。
 性の学習は一生のものだ。私もまだまだ学習し足りないことがたくさんあり、魅力に満ちているものだ。子どもたちと共に成長していくつもりで、臨んだら良いと思う。
性と生を自己実現していくために
佐藤明子
“人間と性”教育研究協議会代表幹事

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