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性教育関連論文

安全と安心の性と生--いま性教育にできること--

■ 不安を増す社会と性と生
 経済評論家の内橋克人さんは「貧困とは、楽しむ、休む、働くのバランスサイクルが崩れること」と言っています。「お金があっても生きる楽しみのない人、睡眠休息の時間がない人」「働く場や意欲を奪われた人」それも貧困なのです。
 いうまでもなくセクシュアリティも生きる楽しみがない、余暇時間がない、職が安定しないという不安の中では、貧困にならざるを得ません。一見豊かなはずの日本で環境の貧困化が性と生にどのような影響をもたらしていうのでしょうか。
■ 性をとりまく環境悪化
 とめどない商業主義がすすむなか、子どもたちを取り巻く性の環境も悪化しています。若桑みどりさんは日本のコンビニや電車での性描写をビデオ・スライドで紹介して、次のように言いました。「公共空間における看板、電車中吊り広告、公共彫刻などと、私的空間におけるTV、CM、雑誌、新聞などにおける女性を性的な身体として展示し、男性の欲望を喚起することで利益に結び付ける日本社会は欧米メディアと比較にならないほどで、購買欲刺激のため男性の性的欲望が性の商品化によって刺激され煽られる。モノ化された男性が女性を性的モノ化している。それが日本での性的犯罪(拉致誘拐、強姦、痴漢、セクハラ、DV、強制売春、性的殺人)の日常化をもたらしている」。
 この大人のつくった環境は子どもに大きく影響しています。子どもたちの性の環境を悪化させているのも、子どもたちの性をり利用するのも大人がつくりだした社会です。このような状況下で、無知で無防備なまま、性につまずく子どもたちが後を断たないのが、残念ながらいまの日本の現状です。
 しかし、日本ではその子どもたちを保護するのではなく、少年法「改正」による厳罰化と同じく、子どもたちの自己責任として処罰の対象にする動きがあります。一昨年6月に成立した「出会い系サイト規制法」では、買春を勧誘する書き込みを禁止し、違反した児童も罰則が科されることになりました。この法案審議時の調査では児童の処罰対象化に「賛成」が66%、「しかたない」も26%に達しました。大人の中でも弱者をかえりみない自己責任化が進むため、子どもさえも社会悪から保護される存在ではなく、厳しく取り締まる対象とみなされてしまっているのです。
 子どもたちをとりまく社会の荒廃も深刻です。子どもが被害にあう事件があちこちで起こり、強盗犯罪や性犯罪の被害件数が急増しています。警察検挙率も20%へ激減するなど、日本の安全神話が崩壊しています。また家庭も崩壊ともいえる状況になっています。家族と家族を結ぶ地域社会と家族内での相互のコミュニケーションの機会が奪われ孤立化しています。いま多くの家庭で、男性はリストラの不安から過労死するまで仕事に追われ、女性は仕事(多くはパート)と家事・育児の両方をこなさなければならなくなっています。子どもたちも塾や習い事、夜遊び、アルバイトなどで帰宅時刻遅くなり、それぞれ全く交流できずにいる傾向にあります。
 大人以上に子どもたちにとっては乳幼児期から「自己肯定」の基となる周囲とのコミュニケーションは欠かせません。いま共同体としての地域や家族の交流を豊かにして、子どもが子どもらしく生活できる環境をどのように再構築するかが緊急の課題となっています。社会と若者の性と生日本で進む失業や不安定な雇用の増加は、働く者を二極分化させ生活にも困る弱者層を増やし社会不安を増大しています。その社会的弱者化が著しいのが若者層です。いま15歳から34歳の若者の5人に1人がフリーターで総数417万人、高卒就職者では31%がフリーターです。フリーター全体の72%が正社員を希望しているにもかかわらずこの状況です。正規雇用と非正規雇用を比較すると、時給は半分以下、月平均収入では4分の1となります。失業率も若者層では一般の2倍にもなり、大卒者の就職者割合も激減しています。
 働き方も過密長時間化傾向にあり、余暇での地域社会や家族、若者どうしの時間の共有が難しくなってきています。
 これらの社会的条件の改善こそ急がなければならないのですが、少子化対策や一部メディアなどには若者個々人のライフスタイルの多様化に責任転嫁し、逆に一定の家族観を押し付ける傾向もみられます。
 このような厳しい現状は、若者から未来の展望や希望を奪い、すべてに「いまさえよければ」という傾向をもたらしています。性も同様で、セクシュアリティが日常での豊かな関係性を紡ぎ合うものではなく、刹那的、消費的、享楽的になる傾向にあります。
 性愛が安心や安全、信頼を築くのではなく、それ自体が即席化、目的化して依存や支配の対象となる、そんな若者が増えているのです。テレビ・雑誌には恋愛していなくては価値がなく不幸と思わせるような「恋愛至上」のメッセージがあふれ、テレクラや出会い系サイトがそのための即席の出会いの場を提供しています。さらにもっと手短かに金銭で性を売買する性産業はいまや3兆円産業となり、多種多様化しています。
 性行動が活発化する時期の若者層がこれらの影響を最も強く受けるため、その性愛に自分や相手を思いやる市民的モラルや健康への配慮といった未来展望が入る余地は少なくなる傾向にあるのです。
 性は文化ですから、この関係は最近の「食文化」における即席化、孤食化、外食化、非安全化によく似ているというとわかりやすいでしょう。貧困化はあらゆる面で多様性を奪い「そのときだけを生きる」という最低生活レベルに落とし、性の文化をも貧困化させるのです。
■ 若者の現状
 いわゆる「できちゃった婚」が増えています。厚生労働省の人口動態統計から分析では、2000年が全結婚中26・3%で、1980年12・6%、1985年17・3%、1990年21%に比べ大きく率が増えています。
 結婚して子育てするには大きな生活や経済の負担が伴います。シングルマザーとなるならいまの日本ではなおさらです。若年出産者のすべてではありませんが、産み育てる環境が整った計画出産に比べて、多くの場合将来設計も不安定で安心と安全とはいえない出産であることは否定できません。事実、10代出産の場合、第一子誕生のときには8割に父親がいたにもかかわらず、子育ての過程で約半数の父親がいなくなったり、将来の生活不安の訴えが多くなる傾向があり「貧困」な環境が改善されていません。
 やはり10代の若者にとってノーセックスの選択も含め、予期しない妊娠をさける性教育の普及とともに、出産・子育てには適切な援助施策をこうじる必要性があります。
 性感染症に関しては今の若者の状況を反映して危機的な状況です。東京都予防医学協会が調べて結果では「10代女性性交経験者の4人に1人がクラミジア感染している」という率になっています。
 これらの背景にはこれまで述べたように若者の刹那的即席的な性行動の特徴があります。中高生そして大学生などでは、性交までの交際期間が短くなり一ヵ月以内に半分以上が性的関係をもって、しかも相手がかわるサイクルも早く、性交相手の平均は3人になっています。しかし、それにもかかわらずコンドームの毎回使用率は2.3割で、性交相手の総数が多いほど使用率が下がるという調査結果もあります(木原雅子京都大学助教授調査)。
 若者は、交際しているときはそれぞれ特定の相手のため「不特定多数とのセックスは危険です」というメッセージは通用しません。大学生相手の調査では過去一年間に性感染症にかかった女性の6割がセックスのパートナーは1人であったというデータもありますから、性感染症における「特定の相手イコール安心で安全」論の限界を示しているといえます。
 この性感染症の増加とともにその一種ともいえるエイズ・HIVの増加傾向も深刻です。厚生労働省エイズ動向委員会の報告では「2003年12月時点で、日本のHIV感染者及びエイズ患者の累計は8649人となり1年間で953人を数え、2001年に900人を突破して以来、高水準が続いて、増加傾向にある」といいます。
 この増加傾向はG7の先進国中、日本だけです。1993年のエイズ・HIV感染数を1として、その後の増加率を比較した場合、他の先進国は2001年には0・5倍以下に減少していますが、日本だけは4倍以上の増加となっているのです。厚生労働省は2006年末には患者・感染者が現在の3倍以上の2万7千人になると予測しています。
 また薬害エイズも時とともにメディアに取り上げられなくなり、世間の関心が薄れています。いまだ日本では政治・官僚・企業が癒着した反社会的不正が相次いで、その利益最優先姿勢はなんら変わっていないだけに、今後同様の薬害や健康被害をもたらさないためにも、薬害エイズを風化させず、その真実や犯罪性を取り上げ続ける必要があります。
■ マイノリティーの性と生
 現在のように平和が脅かされる暴力的・競争社会では、もっとも甚大な被害を被るのが、社会的に弱い立場にある人たちの性と生です。歴史的にも戦争や競争に参加できない者として障害者・病者が、また、兵士・競争力としての次世代を再生産しない者として性的マイノリティが差別を受けたことがそれを示しています。
 アメリカでは、同性愛者に対する攻撃も禁欲主義教育の推進とともに顕著です。2期目の再選を狙ったブッシュ大統領は、2003年2月に「同性愛者の結婚を禁止する」連邦憲法修正を提案して、ブッシュ大統領の支持母体である2000万人キリスト教原理主義派寄りの姿勢を鮮明にして選挙戦に勝利しました。それ以前にテキサス州の同性愛行為禁止法が連邦最高裁で違憲とされ、マサチューセッツ州最高裁が同性結婚を認める判決を出し、サンフランシスコ市が同性婚者に結婚証明書を出すなどの出来事があって、これらの動きに対して「結婚を保護するため」という名目だったのですが、同性愛の権利拡大という世界の流れにも逆行するもので、ブッシュ政権の2期目もあわせて注目と警戒が必要です。
 しかし、このような逆風のなかでもアメリカ・マサチューセッツ州では同性愛者の正式婚がすすみ、日本でも2003年12月に宮崎県都城市では性的マイノリティーの人権尊重が盛り込まれた男女共同参画条例が生まれるなど、着実な前進もあります。
 普遍的人権の観点からみても、戦前・戦中に障害者や病者への断種を求め、一方で他の人々には早婚・多産や女性への純潔を求めたように、マイノリティー攻撃と他の全ての人の性と生の権利の管理統制は一体でなされます。戦前戦中にみられたこの関係は、現在のジェンダー・フリーや性の多様性批判と連動した家父長的伝統家族への回帰の動きや個人を責める少子化対策と酷似しています。「いつか来た道」を繰り返さないためにも、このようなアメリカや日本の潮流に対して、性文化の多様性を認めることを、マイノリティーだけでなく、他のすべての人に共通する課題として性教育でも深める必要があります。
■ 競争ではなく、共同の教育を
 諸外国の子どもたちを比較した各種調査では、日本の子どもたちの「自信力」「自尊心」といわれる自己肯定観の落ち込みは際立っています。例えば各国の10代に「自分に積極的な評価をしているか」を聞いたところ、日本40%、スウェーデン83・2%、アメリカ77・9%、中国92・7%。「自分を誇れるものがあまりない」では「(全然)そう思わない」が他の3ヵ国では70.80%に対して、日本では同44%。日本の子どもたちの多くが自分に満足せず、誇れず、価値ある人間だと思えないとの自己評価をしています(「自信力はどう育つのか」河地和子著、朝日新聞社)。
 そんな日本の子どもたちの現状に対して、2004年1月に出た国連・子どもの権利委員会の日本政府への勧告では、1998年に続き再び「過度に競争的な教育制度によって、子どもの身体及び精神的な健康に悪影響が生じている」と厳しく批判されました。
 それにもかかわらず、いまの日本の教育状況は、これまでみてきた社会の潮流で、より大きく競争・選別と管理・統制が強化されようとしています。
 現在進行する「教育改革」で教育現場は大荒れです。この「改革」は現場や保護者・子どもの声をほとんど聞くこともなく、教育評論家の尾木直樹さんの言葉を借りれば「居酒屋談義の思いつきレベルの構想」までが次々と上意下達で降りてきています。これら「改革」に共通するのは排他的競争主義であり、「できる子」「できない子」を早期に選別し、「できる子」の養成に力をそそぐ方向に推移しています。この方向は事実上、障害児教育のリストラ切り捨てとなる「特別支援教育」にも貫かれています。
 教師の方も人事考課や優秀教員と指導力不足教員、不適格教員などの分離分断が進められ、教師集団の共同体としての力も学校間・教師間の競争によって奪われています。いうまでもなく教育力とは共同の力であり、分離分断によってその共同する力が弱まっていくことは否定できません。
 このような「改革」では、受験学力など目に見える成果で学校間の競争がなされることが多く、それに直接役立たない性教育が入り込む余地はますます少なくなるばかりです。このような「改革」の結果、子どもたちも教師も孤立化させられ疲れています。さらにそれに輪をかけるのが、学校五日制導入後の過密スケジュールです。
 いま子どもにも教師にも必要なのは競争でなく共同であり、家庭・地域での豊かな生活の保障です。それでこそ教育に向き合うゆとりができるのです。競争や多忙からは、共同による子どもたちのニーズに沿った実践は生まれません。その意味ではいまこそ楽しむ、働く(学ぶ)、休むのバランスサイクル(調和)の確保が必要なのです。
 このような厳しい状況下ですが、全国各地で学校づくりへの子ども参加、保護者・教職員・地域の共同の芽も生まれています。長野県辰野高校では生徒・教職員・保護者の参加による「三者協議会」と地域住民との対話を目指した「辰高フォーラム」を組織しゴミ問題、アルバイト、制服、さらに授業改善に取り組み、地域の主人公として市町村合併も話し合いました。この出発点はみんなでつくりあげた「学校憲法宣言」でした。これらと同様の参加型の改革は高知「土佐の教育改革」や私学の大東学園などの開かれた学校運営にも活かされています。
 また2004年1月の国連子どもの権利委員会に参加した現役高校生は英語で「受験のため高校に上がるためだけに教科をただ機械的に暗記し、記憶するだけの授業が毎日のように続いた」と意見発表して委員の感動を呼びました。
 これらの活動は、教育全般や学校づくり授業づくりでも子どもの参加と意見発表、保護者や地域との共同を大切にすることの重要性を示してくれています。
■ 国連子どもの権利委員会による勧告
 2004年1月に日本政府に対して出された国連子どもの権利委員会の最終所見で、日本の思春期の子どもの健康に関して、若者のストレスや性感染症の増加、薬物乱用を懸念し、「思春期の子どもの包括的な健康政策(予防を含む)とそのための調査の実施、ならびに精神的健康、リプロダクティブ・ヘルス、性的健康、薬物乱用などへの対応する」ことを勧告して、子どもたちを取り巻く社会の改善と、その社会でも子どもたちがより健康的に生活するため、性教育が不可欠であることを明示しています。
 児童の性的搾取及び虐待に関しても前述の出会い系サイト規制法などで「犠牲となった子どもが犯罪者として扱われること」に懸念を示し、「子どもにきめ細やかに配慮した方法で、申し立てを受理し、監視し、調査し、かつ訴追する」よう勧告しています。また「犠牲になった子どもに心理的カウンセリング・サービス及び回復のためのサービスを児童相談所において提供する訓練された専門家の数を増加させること」、「児童の性的搾取や虐待に関して女子だけでなく男子にも対象を拡げること」、「低い性交合意年齢(13歳)を引き上げること」、「子どもの性的虐待と搾取に関する関連法規に関する資料の作成や、健康的なライフスタイルに関する教育的プログラムの開発(学校におけるプログラムを含む)といったようなサービスを求め、提供する者を対象とした予防措置を開発すること」も勧告しています。
 この勧告では、子どもは護るべき存在であり、犯罪の犠牲者として、その予防や保護に努めるべきという姿勢が貫かれています。また学校や地域での性教育の必要性も勧告されており、私たちを励まし勇気づける内容になっています。この国連勧告をいたるところでおおいに活用していきたいものです。
■ 新たな性教育の構築を
 これまで性教育は、科学・人権・自立・共生の視点からとらえなおし、生殖の性、生命をめぐる科学的な理解をすすめる一方で、マイノリティー・多様な性に踏み込み、ふれあいの性・コミュニケーションの性教育実践にチャレンジしてきました。それに加えて、新たな課題が提起されています。
 いま性教育に求められることは、すべての人にとっての幸福追求権保障のための「健康」という視点を押し出して、子どもたちに安心と安全信頼の関係を築くための自己決定力をつけることです。
 自己決定力の構成要素は、知識、スキル、価値観、態度、行動などで、すべての基本となるのは自己肯定観です。そのために小学校低学年までに、「からだ・性器」、「自分の誕生のルーツである出産-いのちの尊厳の理解」、「自分らしさを大切にして個性を認め合う」、「性被害の防止と立ち直り」などを総合的に取り扱うことが必要です。とくに自尊感情に乏しい日本の子どもたちにとって、自己肯定のベースとなるこれらは、重要な教育課題です。またこの時期の「性交」は命の誕生を知る一過程として扱い、自らの性器はまず排泄器として、その働きやトイレットトレーニングなど「からだ学習」で扱い、どちらも避けることなく取り組みたいものです。
 思春期を迎えるころには、実際に性行動をもつ可能性のある存在として、自己決定力の構成要素をより具体的に教育する必要があります。と同時に、社会的背景を学習に加え、社会の改善への展望をひらきたいものです。
 そのために「興味本位の性情報や恋愛偏重のメディア情報へのリテラシー」、「男女平等の労働や家庭、対等な交際(性愛)の実現などジェンダーバイアスの克服」、「避妊と性感染症予防のための具体的知識とスキルの獲得」、「自他の人権を尊重しあう幸福で健康な未来志向の関係性」などを総合的に取り扱い、安心と安全のための共生文化の創造を目指したいものです。これらは教育基本法のいう何ものにも支配されない、支配しない「平和で自立した人格の完成」という教育目的に沿うものです。
■ 子どもたちに性の学習を
 この性教育の目的の実現にはまず必要とされるのが子どもたちの性の学習権の保障です。この障害はいうまでもなく性教育バッシングとそれを助長する性への無理解な社会状況です。
 それらの障害を乗り越え、子どもたちに科学と真実に基づく性教育を保障していくためにすべきことは、まず子どもの性と生の実態・要求を明らかにすることです。それを地域・保護者・教職員で共有し、子どもたちがどのような状況にあり、何を望んでいるのかを掴む必要があります。実態を知ることにより「寝た子を起こすな・自然に覚える」論は克服できるでしょうし、保護者・地域・教職員が共同して子どもの性と生の安全と安心をまもる必要性がわかるはずです。それが一部の学校で先駆的にすすめられている「子ども・地域・保護者・教職員」の懇談会などに発展すれば、地域の保健所や保健師、医師などとの協力もすすみ学校づくりにも役立つはずです。
 性教育の実施の方法も工夫して保護者と子どもたち個々の要望に合わせ、選択制にしたり個別指導を取り入れて柔軟性を持たせる配慮も必要です。教科では幅広く、理科や保健でからだの学習として、社会・道徳でいのちの尊重として取り扱うことなども視野に入れる必要があります。子どもたちの健やかな成長を最優先にして多彩なチャレンジで性の学習権を保障したいものです。
■ 授業外教育を活かす
 これまで述べたような環境のなかでは、性の面でも特別にアクティブな子どももいますし、すでにつまずいて傷ついた子どももいます。そのような子どもたちは学校から離れがちであったり、授業に出ても身が入らないことが多くあります。このような場合には授業外での個別的な指導も必要です。このような場合多くは自己否定感が強く、支配欲求や恋愛・金銭に依存している場合がありますから、カウンセリングのように相手のいうことを受け止めつつ良好な信頼関係を築く必要あります。社会の性の荒波で溺れた子の浮輪になれる大人が必要とされているのです。そんなときには、学校外とも連携して安心できる病院や保健所、カウンセラーの紹介もできるようにしておきたいものです。
 学校でいかなる形でも性教育の実施が難しい場合は、外部の様々な人や保護者と共同して学校外で性教育講座を企画することなども一つの方法です。
 校外といえば街角や若者の集まる街角に、「性の相談センター」のような気軽に立ち寄ることのできる施設をつくる必要性も高まっています。またふれあい豊かな地域づくりと性も含め良質な文化に触れられる生活環境を保護者・地域との協力で創出することも必要です。このようなことは一人の力では難しいですが、様々な人との共同で行政の協力も得て、子どもたちの健康をまもり育むための運動として進めたいものです。
■ 学校での学びの共同体制をつくる
 いままで子どもの性教育の必要性を述べてきましたが、一番性教育において学びが必要なのは教職員ではないでしょうか。
 その一点目は学びの機会の保障と書籍・教材などの整備です。教職員の学び(研修)は自主的に、対等平等な関係で、開かれた環境を保つことが必要です。その点では参加者がほとんど手弁当で集うようなセミナーはそれが貫かれています。このような自主研究を保障することこそ教師の力量を高めるのです。学校での書籍や教材の整備も教師がいつでも学ぶ環境として不可欠です。できればそれらを整備して、意見交換や授業交流ができるようなサークルや委員会を学校内や身近な地域で設置することができればより有効です。
 性教育は日本では教科として独立していないため、またプライベートでデリケートなことを取り扱うために多くの教師がしりごみをしたり、二の足を踏んでしまいがちです。その際に支え合い学び合う仲間としての教職員集団の助けや書籍・教材の整備がいるのは当然のことです。
 二点目は教師自身のセクシュアリティを含む生活を豊かにすることです。教師自身が多忙に追われたり、管理統制に苦しんで孤立しているようでは、生徒と共同した交流ある授業を展開できません。
 性も含め、社会に生きる一人の存在として希望をもって自立して生活できてこそ、性教育に取り組むゆとりも生まれます。子どもたちにとって身近に接する大人の少なくなった現在、教師は子どもたちにもっとも影響力をもつ大人の一人です。豊かな人間性を発揮して「あんな大人っていいな」と思えるモデルになりたいものです。その点では性教育に取り組む教師の多くが「性教育をしていちばん得をしたのは自分だ」と言います。学校・家庭での自立ができ、関係性がよくなったというのです。性教育をして自己変革できる教師仲間が一人でも増えれば少しずつでも学びの共同にむけて前進するはずです。
 三点目ですが、教師と子どもたちとの共同、子どもたちどうしの共同で子どもたちの要望に沿った授業を創り出すための教師の力量を養うことです。「言うは易し行うは難し」ですが参考までに授業づくりでの基本を列挙しておきます。
 その第一にはどんな意見も受け入れる雰囲気づくりです。そのためには誰もが否定されない安心感と意見発表の機会の保障が必要です。
 第二にプライバシーの保護です。例えば話しづらい話題や意見が出ない場合は、匿名やペンネームでの文書発表による意見交換も一つの方法です。実際に性の悩み相談はプライバシーが保護される電話相談やメールでのアクセスが多いですから、その方法を利用しない手はありません。
 第三に上意下達的に意見を押しつけないことです。「性」は多様で答えは一人ひとりが交流のなかから考えつかみ取るものです。ですから設問も決まった正解があるという形ではなく、子どもたち自身からの疑問をみんなで考えあうなど、子どもたちの自発性と自己決定を大切にすることが必要です。
 性教育は丸暗記だけで教え込むものではなく、個々人が自分なりの主体性で日々の生活に役立てる性格の教科です。いくら正しい知識でも子どもたち一人ひとりの自立した安心と安全の生き方・行動とつながっていなければ無意味に近いものです。その意味では受験学力の対極にあると言ってもよいでしょう。子どもたちが肯定的に自他を受け入れ、健康で幸せになるための自己決定力をつけるためにも、科学、人権、自立、共生、を統合した視点で性教育をさらに発展させていきましょう。
■ 最後に
 これまでみてきたように日本では性の面でも共生という面でも、いま冬の時期を迎えています。しかし、少し大きな視野でみると、ここ10数年でも大きく進歩があることがわかります。世界では1994年国際人口開発カイロ会議でのリプロダクティブ・ヘルス/ライツ宣言、1995年世界女性会議北京宣言、2000年には「セクシュアル・ヘルスの推進-行動のための提言」がWHOも加わり出されています。国内では1994年子どもの権利条約批准、1999年児童買春・児童ポルノ禁止法成立、2000年ストーカー行為等の規制等に関する法律成立、2001年配偶者からの暴力防止及び被害者の保護に関する法律成立、など着実に前進をしているのです。いまの日本に強い影響を持つアメリカでさえ、結婚まで禁欲のみを教える性教育について各州から「効果がなく税金の無駄遣いである」という報告が出て来ています。
 また性教育やジェンダー・フリーの先進国である北欧各国では、日本のようにアメリカの禁欲主義教育に見習おうとする国などありません。社会施策でも日本やアメリカとは違って競争ではなく、共同と共生を模索して、高いレベルの社会保障による基盤整備で国民が安心して安全に生活できるように配慮されています。その最も進んだ国の一つがスウェーデンですが、同国ですら1980年頃、商業主義が若者を蝕んでいたのです。そのときに同国がとった教育改革の方針は示唆に富んでいます。
 それは「子どもの頃から社会を知り、批判的思考力をみがきながら、発言できる力を育成することは、市民を育て、豊かな社会を形成するのに欠かせない。教育は批判的思考力と創造性を養うことに力点がおかれ、小学校から徹底した少人数クラス、双方向性の授業あるいはプロジェクト方式がとられる。また地域コミュニティーと学校の協力体制によって、社会と直結していることが実感できる学習が重視されている」(「若者が社会的弱者に転落する」宮本みち子著、洋泉社より)というものです。日本の「教育改革」と比べて大きな違いです。
 他にも、オーストラリアでは、当地の性教育の学習指導要領にあたるシラバスは親、専門家、教師、保健省が参加して民主的に決められ、そのための教師の研修システムを整備しています。しかしシラバスはあくまでガイドラインで、学校での実践は子どもの実態と保護者のニーズに合わせて行うという現場主義と子ども主体が貫かれていました。その内容も性をポジティブにとらえ、からだ・健康・安全・多様性という観点で参加型の学習が保障されていました。
 このように見てみると、私たちのこれまでの歴史と目指す方向にこそ、安心と安全の性と生があり、共同と共生の文化が花開くことが確信できるのではないでしょうか。
 冬の時期から抜け出し??たんぽぽ.が咲き誇る春を呼ぶためにも、いまの歪みつつある日本の社会や教育を子ども主体にもどし、性教育に必要なものは何か、また何ができるのかを見極め、力強くさらなる一歩を踏み出しましょう。
安全と安心の性と生--いま性教育にできること--
関口久志
“人間と性”教育研究協議会代表幹事

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