性教育授業実践の記録 小学校・高学年
思春期の入り口に立つ----そのこころ
1.授業の中身づくりのポイント・考え方
- 5年生 配当時間1時間 保健
- ■自らを客観的に見るための視点を与える
- 高学年になった子どもたちは、女の子でも男の子でも、自分の身体の変化や、気持ちの揺れに気づきはじめています。しかし自分ではどうしようもないままに、女子であれば乳房が大きくなってきたり、男子ならばうっすらとひげが生えてきたりするように、自分自身のからだに目に見えた変化が起きてきます。 自分の意志ではどうすることもできないから、友だちと比較して、自分の変化が早くても、遅くても、たまらない不安にとらわれているのです。そんな彼らに周囲の大人が、人の成長の道筋について、きちんと語ってやり、それぞれの成長の度合いもまた、その人の個性であることを知らせてやることが必要です。自分が今、長い人生のどこにいるのかを教えられることにより、子どもたちは、自分を客観的に見る視点を得ることになります。身体の変化や、揺れ動く自分の気持ちについて、「だから自分は、こういう状態なのか」と考えることによって、心が落ちつくはずです。
- ■子どもたちの育ちの背景をも考慮する
- 子どもたちの中には、親といっしょに生活していなかったり、いても両親の間が非常な不仲であったりなど、不安定な家庭状況に置かれた子が増えてきています。そういう中で、幼いころから自分が十分に受け入れられることがなかったり、また時には、適当に反発する相手を得られなかったりして育ってきている子が少なからずいます。子どもは成長の過程で、親にまるごと受容されることで情緒が安定し、やがて親にぶつかり、はね返る力で自立していきます。 思春期の入り口に達したこの時期、子どもたちは教師に対しても、さまざまな形で自己表現をしてくると思います。教師は個々の子どもたちの育ちの背景をもよく理解し、しっかりと受け止めてやらねばなりません。性教育の授業の中でも、そういう姿勢でもって人生の先輩として援助をしたいのです。
- ■さまざまな人々の生き方にふれる出会いの場とする
- 私たちにとって、人との出会いの数だけ、人生は豊かになるといっていいと思います。自分の人生をどう生きていけばよいかというテーマを考える時期にさしかかった子どもたちにとって、“出会い”はいっそう大切な意味を持っています。しかし今、子どもたちが置かれている状況は、さまざまな理由から、人間関係が希薄になってきていることに特徴があります。表面からだけ人を見るのではなく、もっと踏み込んで互いにふれあう機会を増やしてやりたいものです。 また、私たちの周囲には、ふだん見えにくいけれども、懸命に生きている人々がたくさんいるはずです。障害者などマイノリティの存在をはじめ、さまざまな人々の生きざまを知ることで、人間は1人で生きていくものではないことを学ぶことになるでしょう。性教育の授業を通して、直接他の人間との意見交換ができたり、あるいは間接的にでも、さまざまな生き方をする人々とふれたりして、人生について考える視野を広げてやることが大切です。
- ■授業をするにあたって
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(1)ねらい この時期、子どもたちは大きな迷いの中にいます。早く大人になりたいと思う反面、いつまでも子どものままでいたいと思う、相反する気持ちが同時に心の中に存在しています。特に、自分のからだについて、女子であれば乳房が大きくなってきたり、男子であればうっすらひげが生えてきたりすることに対してとても面くらい、拒否したい気持ちが働きます。その反面、友だちと比べて、自分のからだの性徴に劣等感を抱いたりするものです。自分の意志とは無関係にからだがどんどん変化していくことで、とても不安になるのです。
この時期の子どもたちへの授業でもっとも大切なことは、そういう不安を取り除いてやることにあります。(2)工夫 思春期の入り口に立つ子どもたちの気持ちが表現されている同年代の子の作品や、適当な文学作品を授業のポイントに使う。
2.授業案
- 〈本時のねらい〉
- ・心身の成長に伴う不安を取り除く。
- ・人を好きになることの意味を考える。
指導内容 学習活動 留意点・資料 導入 だれにも、人を好きになる時期がある。 人を好きになった経験について話し合う 人を好きになった子の言葉 展開 異性を意識しない仲よしの関係のときもある。 とっても仲よし同士の友だちの例について知る。
一口童話「おとまり」を読む。童話「おとまり」 異性を意識する時期の訪れ。
その時期は、大人に向かってからだが変化しはじめるころ。変わっていく異性のようすと、それを見つめる子の気持ちについて知る。
詩「おにいちゃんは かわった」を鑑賞し、感想を発表し合う。詩「おにいちゃんは かわった」 成長には不安な気持ちも伴う。 変わっていく友だちと、自分が感じる不安について知る。
生理(月経)を迎えた友だちを持つ子の作文を読む。作文のプリント 自分の意志とは関係なくからだが変化していくことから来る不安。 成長に伴う不安について、教師の話を聞く。 自分を客観的に見る視点を与える。 だれもが経験する思い。 まとめ 人を好きになることはすてきなこと。 人を好きになることの意味を考える。
詩「夕鶴の劇」を鑑賞し、感想を発表し合う。詩「夕鶴の劇」
同性愛の場合についても配慮する。
3.実践記録〈授業抄録〉
- T:先生はむかし、担任していた五年生の女の子から、日記帳に書いた、こんなメッセージをもらったことがあります。
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(資料)先生は小学生のころ、好きな人はいましたか。私はいます。でも好きな人とは、あまり口をきいたことはありません。だから、すこしでも席が近いところにあったらばと思います。
C:先生、小学校のとき、好きな人いたんですか?
T:もちろん、いましたよ。
C:口きけた?
T:ううん。この女の子と同じ気持ちでした。だから、その日記にも、そう返事をしたのを覚えています。みなさんはどうですか。今、好きな人はいますか?
C:いるけど、ぼくは女子ではいないな。
C:私だって、女子の中にはいるけど、男子で好きな子なんていないよ。
T:女子でも男子でもいいのですよ。好きな人がいるって、とてもいいことですね。東君平さんの、こんな短い童話があります。
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〈おとまり〉 きんじょどうしなのに、こどもたちは、なかよしになって、もっとなかよしになると、とめてあげたり、とまりにいったりします。そんなひは、ゆうごはんも、いっしょにたべます。いっしょに、ごはんをたべて、いっしょに、おふろにはいって、いっしょに、あそんで、おなじへやに、おなじふとんで、ねるのです。
「きょうだいみたいだね」
「ほんとだね」
ねまきに、きかえて、ねるまでに、もうすこしだけ、あそんでいいというとき、こころが、いちばんたのしくなります。(『おはようどうわ』から)
T:これは、何歳くらいの子どもたちの話だと思いますか?
C:4,5歳。幼稚園ぐらいの子。
C:1,2年生ぐらいじゃないの。
C:ぼくなんか、今でもあっちゃんと泊まりっこしているよ。
T:では、こんなふうに、いっしょにお風呂に入ったり、1つ布団で寝たりするのは、女の子どうし、男の子どうしでするのですか?
C:そりゃそうだよ。でも、うんと小さいころは別かもしれないけれどね。
T:そうですね。小さいころは、あまり、男だから、女だからって意識しなかったでしょ。男だの、女だのという意識が強くなるのは、いつごろからかと考えると、それは人によってずいぶん違うようです。でも、ほとんどの人が意識するようになるのは、大人に向かって、からだが変化しはじめるころからです。ある女の子が、自分のお兄ちゃんについて、こんな詩を書いています。
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おにいちゃんは かわった 小6 沢村 美緒
おにいちゃんは かわって行く
いつのまにか かわって行く
毎日毎日 みているのに
なんだかわからないけど かわって行く。
春のころ
こぶしの木にのぼって 白い花を
「先生に もって行け。」
ぼさり ぼさり
あたしの手に落としてくれた おにいちゃん
あの時の 白い顔が
今は すっかり日にやけて ココアみたいな色してる
おでこに ぽつんと おできができている。
母にきいたら
「ニーキービー」と 言った
「やーだな ニキビできて」
じろっとわたしの方を見ただけで
スーッと学校へ行っちゃった。
かわった なんだか かわった。
声がなんだか ぼうぼうしてきた。
わたしと あそんで くれなくなった。
かばんを ちゃんと しょわなくなった。
「おにいちゃん すず虫が なかなくなったよ」
「ああ 冬がくるから みんな死ぬさ だれでもいちどは 死ぬんだぞ」
おとなの声だ
ああ おにいちゃんは おとなに なっちゃうんだ(『日本の子どもの詩』岩崎書店)
- T:もう1人、むかし、先生が担任したことのある女の子は、こんな文を書いています。
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先生も知っているけれど、このクラスの女子の中に、もう生理になっている人がいます。私はまだなっていないからこう思うのですけれど、もう生理になっている人といっしょにいると、変なふうに思ってしまいます。それは、もう生理になっている人は、赤ちゃんが生めます。生めるということは、お母さんたちと同じ、おとなの人です。だから、友だちじゃないふうに思ってしまいます。でも、そんなふうに思っていると、友だちがいなくなってしまうので、不安な気持ちで友だちといます。
T:みなさんのからだは、いま大人になるための準備を始めています。しかしその変化は、自分の考えとは関係なく起きてきます。それで、とても不安な気持ちになったりもするのです。
T:でも、先生もお父さんもお母さんも誰もが通った道だから大丈夫ですよ。からだとは別に、みなさんくらいのころから、気持ちの面で大きく変わってくることは、どんなことでしょう?
C:親の言うことを、あまり聞かなくなる。
T:君はそうなのですね。でもどうして、親の言うことをあまり聞かなくなるの?
C:だって、うるさいもの。
C:もっと自分の考えでやりたいよね。
T:先生に対しても同じようでしょ。でも確かに、そういう気持ちがでてくるのも、だんだん大人に近づいてきたしるしなのです。もうひとつ、大きな変化って、なんでしょうか?
C:人を好きになるってことかなあ。
T:ある男の子が、こんな詩を書いています。
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夕鶴の劇 小6 原田 義次
先生 ぜったい言うなよ
これ ほんまやで
おれは 種田典子が大好きになったんや
あの夕鶴の劇の練習の時
おれが「よひょう」で 種田が「つう」になったやろ
そのとき
先生は
「原田 もっと ひっつけ ひっつけ」言うたね
おれは もじもじしてたけど
種田の手 ぎゅうっとにぎったんや
そんなら種田もな
おれの手 きつうにぎり返してきよった
ほんなら おれなもう ポワーンとしてきて
セリフ みんな忘れてしもうた
「こらっ 原田 セリフ忘れたらあっけ!」
そのとき
先生 きつう怒ったね
けどな おれ あの時
種田の手を きつうにぎった時
何が何やら わからんようになった
顔も 手も
おれ からだ中 まっかになってしもうた
それからのおれ
もう 授業中も
種田のことばかり 気になるねん
種田も おれのかおみて
まっ赤になりよる
先生 人間て その人のことを好きになってしもうたら
頭の中が そのことばかりで
いっぱいになってしまうね
おれ このごろ 種田のことばかりで
心が 燃えてきよる
勉強も 種田のこと思うてがんばっている
先生 このこと
ぜったい だれにもいうなよ
先生 ほんまやで ほまんやで(「少年少女新聞」第1125号)
T:人を好きになるってことって、どんなことだと思いますか。
C:わからない。
C:すごくすてきなことだと思います。
C:いいことばっかしじゃないと思う。つらいことだってあるんじゃない。
C:あたし、男なんてきらい。
C:ぼくだって、女なんてきらいさ。
T:そう言うけど、だんだん変わっていくかもね。女だから男を、男だから女を、好きにならなければならないということはないのですよ。大切なことは、誰かを好きになるということ。その人のことを思うと、がんばって生きていく勇気がわいてくるということなのではないでしょうか。
- 〈授業後のひとこと〉
- 子どもたちの発達はさまざまです。本時のようなテーマは、自分がその段階に達していないとピンとこない部分も少なくありません。授業としては、5年生の後半以降、6年生にかけて実施するのがよいでしょう。