学習実践 障害児教育
すてきなタッチ、不快なタッチ
1.出会いの季節の期待と不安
- 出会いの春。新年度は新たな出会いへの期待と一抹の不安で胸がふくらむ。とりわけ転・入学する子どもにとって、新しい学校の先生や友達との出会いは新鮮である。そのため、とても緊張し、疲れる。そんな子どもたちの緊張や不安を和らげるのは、なんといっても担任教師の豊かなセクシュアリティであろう。
- これらのことは障害児(知的障害中心)にとっても同様である。しかし、障害を持っていることで家庭や学校、地域などでいじめや暴力・虐待を受けることが多く、また、障害を持っているためにSOSを出せないことも多い。そのため、教師はより豊かなセクシュアリティを育む必要がある。
- ここで言う豊かなセクシュアリティとは、障害を持った子どもたち一人ひとりが、一人の人間として自信を持ち、人とのかかわりのなかでその子らしく生活する権利を保障したり、保障するように働きかけるような人間性を言う。
- 子どもたちは新しく出会った教師に自分を認めてほしいため、さまざまな行動をとおして自己表現する。
- 年齢や言葉の理有無によって表現のしかたに違いはあるが、直接教師に近づいて言葉やタッチングでかかわる子、教師の周辺から友達が教師に甘えているのをうらやましそうに見ている子、教師がかかわっている友達を振り払って自分が教師を独占する子、物や友達に乱暴して教師の目を自分に向けされる子、などである。
- このように新年度は子どもとの出会いが始まるので、教師にとっても年度始めの心労はとても大きく、言葉では言い表せないほどである。そのうえ、障害児は人間関係を結ぶのに時間がかかり、また学校で生活している間中でもありるため、この心労が一学期・半年・一年と続くこともある。しかし、子どもは自分が教師に認められたと実感すれば安心し、自立して落ち着いた学校生活をスタートできるので、このような子どもたちの気持ちを受けとめ、どの子にも温かくおおらかに対応したいものである。特に、乱暴する子ほど安心した生活を過ごせていないので、教師との触れ合いをとおして、少しでもその子が安心できるようにしたいものである。
2.出会いの季節の期待と不安
- 人間関係をつくるうえで基本になる「NO(やめて)」と言える力、「NO」と言われたらやめる力、「やって(助けて)」と言える力をぜひつけさせたいものである。そのため、年齢に関係なく、できるだけ早い時期に取り組むとよい。障害の重い子には、日常生活のなかで子ども同士のトラブルがあったときなどに繰り返し教えるとよい。また障害の比較的軽い子には、授業で学習させ、それを日常生活に生かせるとよい。授業実践例を紹介する。
- 【小学部】
- 不快なタッチを感じられるには、まず気持ちよいタッチを知る必要がある。そこで「一本橋こちょこちょ」などで感触遊びをしたり、握手やほっぺをふれあったりしたあと、絵本『からだっていいな』(童心社 山本直英・文)を読み聞かせる。絵本を注視できない子もいるので、抱っこやおんぶ、握手など、ふれあっている絵を大きくしたペープサートにすると効果的である。
- そして次は、ペープサートを並べておいて、自分がしてほしい動作のペープサートを子どもに選ばせ、そのことその触れ合い動作をすることで、子どもたちは教師や友達とふれあう気持ちよさを体感するのである。
- それから不快なタッチ(学級の子どもに多い動作も入れるとよい)を教師が子どもにやって体感させてから、絵本『わたしのはなし』(童心社、山本直英・和歌山静子)を読み聞かせる。そして、いやなタッチには「やめて」と言うことを教え、子どもにも発声させる。気持ちよいタッチと同様に、プライベートゾーンの侵害や性的暴力、誘い、やめて、いや、の場面などをペープサートにし、それを使って教師が寸劇をしてみせるとよい。
- また、学級の子どもにやめさせたい動作(たたく、つねる、髪を引っ張るなど)をペープサートに加えていくのもよい。朝・帰りの会などでもペープサート劇遊びとして取り組むなかで、子どもたちは徐々に受けとめていき、日常生活での子ども同士のトラブル時には、言葉のある子は自然に「やめて」と言うようになるのである。さらに、このような教師と子どもの関係性がつくられるなかで、子どもたちは、教師に自分の要求をそれぞれの表現方法で出せるようになっていくのである。
- 【高等部】
- 高等部の新入生は思春期真っ最中であるために、自分だけでなく異性のからだにも関心を持ち、ともすると相手に不愉快なタッチをしがちである。そのため、生徒たちが大人に向かう心と体を自覚できるような、そして自分の気持ちをコントロールし、新たな自分づくりと豊かな仲間づくりができるような学習の機会を、できるだけ早い時期に設定したいものである。
- 一年の一学期誤解の学習内容を次のように展開してみた。
- 1.みんなは高校生
- 「人生テープ」(東京都の性性教育研究会の実践から学ぶ)を使って視覚的に年代を確認するとわかりやすい。誕生をゼロとして一〇〇歳までのテープ上に乳児、園児、小学生、中学生、高校生の絵カードを貼って自分の今までの成長を振り返るが、記憶の薄い乳幼児期は、写真や録音をした音声を使ったり、小・中学校時代の思い出をそれぞれ発表し合うのもよい。
- 生徒たちの声は、小学校時代は「楽しかった」がほとんどだが、中学校時代になると「いじめられていやだった」がほとんどである。また、ある生徒が不登校や家出をしたときの気持ちを語ると、「その気持ち、わかる……」と教官の声まで出たのである。中学校・障害児学級での厳しい対処療法的な生活指導と管理の下で不安定な生活を送ってきたことを知るとともに、中学校からの申し送りだけでは見えない生徒の気持ちを知ることができる。その後、兄姉、親、祖父母の年代を絵カードを貼って確かめ、自分たちもこれから年を重ねていくことを予想していくのである。絵カードで理解できない生徒には、赤ちゃん、子ども、大人、老人の男女ペア人形(スージーとフレッド)も使うとよい。
- 2.男女の違い
- 生徒たちのジェンダー意識を知るためにも、また生徒自身に思考させるためにも、男女の違いについて発言させるとよいだろう。例えば「自分は男(女)だと思う人」と発問すると、全員が挙手できる。続いて「ではなぜ自分が男なのか、なぜ女なのかわかりますか?」と 発問すると、Aさんが「制服で……。女子はスカートで男子はズボン」と言う。するとBさんは「女だってズボンはくよ」。C君(男女を意識できるようにあえて使う)が「女の人は宝石を持つ」と言えば、Bさんは「美川憲一は男だけど指輪をしているよ」とい言う。それでみんな「う〜ん」?? しはらくしてC君が「髪の毛かな?」と言うと、すぐに「Jりーぐのラモスや江口洋介も男だけど髪が長い」とBさんに否定され、みんな、また考え込んでしまうのである。
- こんな発言のやりとりのあとで、「男女のペア人形(名前を紹介する)を使って違いを発見しよう」と言って人形を提示する。そして異性の洋服を脱がせられるせっかくのチャンスなので、次のように提案するとよいだろう。「スージーさんを男子が、フレッド君を女子が脱がせたら?」と。もし受け入れられなければ、希望者にやってもらえばよい。
- こうして人形でからだの部位を見比べていき、男女の違いは髪型や洋服などではなく、性器によってわかることを確認する。さらに絵本『おんなのこってなあに? おとこのこってなあに?』(福音館書店、ステファニー・ワックスマン)を読み聞かせして男女の違いについて確かにするのもよいだろう。
- 3.子どもと大人の違い
- これも、男女の違いと同様、できるだけ生徒に考えさせたいところである。「みんなは子でもですか? それともおとなですか?」の発問に、「どっちかな」「子ども」「大人」「わからない」と答えはまちまちだが、C君は「僕は大人だと思うけど、おかあさんは僕のこと、子どもだと言うしね」と首をかしげる。交通機関を使って登下校している生徒は、乗り物料金が大人であることを知っているので、なおさらわからないようである。
- そこで、自分のからだの変化と心の変化について聞いてみると、からだの変化では「家の人に反抗したくなった気がする」「男の子のことが気になる」「わたしは○○先生が好き!」などといった答えが生徒たちから出されるので、これらの生徒たちの気持ちに共感するとともに、「このような気持ちになることは、生徒たちが大人に近づいている現れである」と言って成長を喜び合いたい。そして、大人になるというのはどういうことなのかが生徒にわかるように、「自分の気持ちを相手に伝えられたり、相手の気持ちを考えられたりするようになることが、大人になるっていうことだと思う」など、教師の大人像を語るとよいだろう。
- 子どもと大人のからだの違いは、スージーとフレッド人形を使って見比べたり、絵本『成長するっていいなあ』(大月書店、ステファニー・ワックスマン)で確かめるとよい。
- 4.男のからだ、女のからだ
- 男性外性器は、男子はもちろん女子も見たことがあり、割合わかりやすく、また名称も「ペニス」と短くて覚えやすいようである。一方、女性外性器は、見たことも、直接触ったこともなく、また名称も難しいため覚えられないようである。そこで、生徒がよくわかるような性器の模型をつくる必要がある。男女の性器図を黒板に並べて貼り、形を見比べたり、その機能を知らせていくと、形は違っても機能的には男女とも似ていることを知り、とても驚いたようだ。
- 性的自立の力を育み、性の加害者・被害者にならないために、プライベートゾーンについてはここでしっかりと学ばせたい。
- 「プライベートゾーン」について生徒たちとやりとりしながら学習した際、好きな友達や先生の胸を触ったり、ほっぺにチューをしたりするG君が「ごめんなさい、(ぼく)もうしないから」とその友達や先生に謝ったのである。しかし、発達段階が三〜四歳のG君は、その後も同じことを半年ほど繰り返し、そのたびに「やめて! 高校生は人のいやがることをしないよ」とか、「やめて! G君は高校生じゃないんだね」などと注意されるなかで、二年生になってまもなく収まったのである。
- また、自閉的傾向のD君は何か活動しているとき以外は、いつも堂々とパンツのなかに手を入れていて、注意されると、その人をたたいたりパニックを起こしていたが、少しずつまわりの人の注意を受けとめられるようになり、まわりの人と見合わせたとき、自分から「へんですねえ」と言ってパンツから手を出すように変わっていった。そして、ついに一年の終わり頃にはパンツに手を入れるのを見かけなくなったのである。
- G君、D君を見ていると、学習したことをとおして、徐々にではあるが確かに自分をコントロールする力がついていくことがわかる。
- 5.もっと知りたい私たちのからだ
- 六月の日曜参観日に、親子で『性ってなあに』(NHKソフトウエア)の前編を試聴したあとで、生徒たちは次のような感想文を書いてくれた。
- 「人生テープを見てだいたい(自分が)こういうふうになるとわかりました。どうして人間って生まれてくるんだろう。そして誰がつくったんだろうと、ぎ問です。もっと知りたい」「私は、体のことは今日まで知りませんでした。でも、が(っ)こうにはい(っ)て、とても理科が楽しくなりました。もっともっとべんきょうして、わからないことをなんかいもふくしゅうしたい」「こんなに小さかったのに私をここまで育ててくれたお父さん、お母さんにおやこうこうしたいです」「男の人と女の人は、かみのながさがちがうことでいた。でもかならず女の人がかみをながくしているとはかぎらないとわかりました」「おかあさんのおなかの中からどうやってうまれていくのかがわからなかった。それをもっとしりたかったです」
- このように、勉強は苦手であると思っていた(思い込まされていた)生徒たちであるが、高等部へ入学してわずか三ヶ月、五回の学習の中で、からだについて学ぶ楽しさを知り、学ぶ意欲が出てきたことがよくわかる。このことからも障害児への性教育の必要性を実感させられるとともに、この生徒たちのニーズに応え、二年、三年と担任を持ち上がり「心と体の学習」を積み上げていかなければと強く思うのである。
- 以上、長くなったが、新しく出会った子どもたちが、豊かな人間関係をつくっていくうえで必要な力をつけるための授業例を紹介した。
- ところで、入学したばかりなのに教師や友達に蹴ったり、たたいたり、かみついたりの乱暴をするため、一日に何回も叱るような子が一、二名はいるものである。小学部くらいでは被害を受けた子が泣いて終わりだが、中・高生になると、それは大げんかにもなるのである。この大げんかは男子も女子も関係ないのが障害児学校(学級)の特徴とも言える。まさに気の強さと体力・腕力の世界であり、学級集団づくりにもとても影響するので、暴力を振るう子どもの対応には特に配慮が必要である。そのためにも、家庭訪問の際には、家族関係や虐待の有無などについてよく把握しておきたいものである。
3.エロスの枯渇した子へのスキンシップ
- このシリーズの授業計画は、
- 他人への暴力(言葉も含む)が多い子ほど家族の人間関係が希薄で、その子にとって精神的な居場所がないために、心がさびしくてしかたがないのである。家での満たされない気持ちを漠然と感じられるような子は、家でいい子でいる分、学校で発散して教師に甘えたいのである。そのため、暴力行為を止めて叱ったり注意したりするだけでは決して収まらず、むしろエスカレートするであろう。
- まず、その子の手を握り(小さい子や同性の中・高生は抱き寄せて)、しっかり目を見て「どうしたの?」とか「何かあったの?」など、穏やかな口調で声をかける。するとその子は怒られないことでホッとし、しかも教師の手の温かさを感じて気持ちが和らぎ、自分のしたことや相手のことを振り返る余裕が出てくるようである。
- そのあとで、その子の暴力によって相手が受けた痛みを伝え(謝れる気持ちになるまで)諭せばよいのである。そして謝ることができたら、そのことを評価することも大切であろう。そのときもスキンシップ(生活年齢や性に応じた)を忘れないこと。
谷森 櫻子